松下君の山田錦 Matsushita's Yamadanisiki 種もみ。昨年収穫した米の一部。この一粒が数千倍になる。 3ヵ月以上かけて手作りした肥料を口に入れる。「人間にとってまずいもんは米だって好かない。俺の肥料はおいしいんだ」 もみがら薫灰。4反のもみがらをひと山にして、だいたい2日かかる。床土や肥料になる。 近所からは特殊な農業だと言われた。「俺は化学肥料や農薬を使うほうが特殊なんだと思う」。田圃には大きなミミズが戻ってきた。 もうすぐ子供の日。3人の子供のために譲り受けたこいのぼりを屋敷の庭に上げる。 苗づくりは人間で言えば三つ子の魂。季節はずれの寒い日には苗を軒下に移し、布団をかけてやる。 「おまっち家は昔っから大きな百姓だったっけからな」と今日一人だけの若者とあって冷やかされる松下さん。消防団長としても有名だ。 葉鞘(ようしょう)の朝の顔。 「もうすぐ雨が降ってくる」その前にすべての苗にビニールをかぶせようと陽が暮れてからも作業にはげむ。 「いい苗が出来たぞぉ」5葉苗になったら、そろそろ田植えが始まる。 松下さんの山田錦で地酒を作る近所の蔵元、青島酒造株式会社の若大将が手伝いにくる。二人ともはりきりすぎてちょっとひと休み。 田植えも終り頃の時期になり、夕方も近づくとなると疲れがかなりたまる。「だんるいやぁー」。 一人だけの農業はいつも時間との戦い。奥さんの作ってくれた昼ご飯を急いでほおばる。 田植えの終った田圃。自分の田圃で多くの命が暮らせることが松下さんの喜び。 日曜日、子供達が豊年えびを探す。「土を触るとおもしろいでしょ。農業を楽しいと考えてくれる子がいれば…」と田圃を開放する。 松下さんの田圃に通い始めて3年目の初夏。昨年までは見られなかった腰のかたち。 17枚に分かれた田圃を毎日夕方になると見回る。おたまじゃくしをすくい上げ、「俺の田圃は最高だろー」と話しかける。 うら盆の午後。「たまたま百姓の家に生まれ、最高の舞台に置いてもらった」。 「土地と田圃は俺のもんじゃないと思ってるよ。俺は親父から受け継いで、そして俺もいい形で子供に引き渡してやりたいと思ってる」。 夕方の家族だんらん。「自由にやらせてくれてうちの奥さんにはほんとうに感謝してる」。 「金のためにできあがった社会で生活するのは苦しいと思うよ」ふとそんなことを言う。 雨あがり。家の前の田圃を見回る。 この虫なんて名前か知ってる?」そう質問されて困った。私はこの日、尺取虫のほんとうの姿を初めて知った。 「明日食うものがあるってことは今日の安心」それが農業だと松下さんは言う。 重い稲を手際よく、大切に運ぶ。 半年育ててきたからね」稲刈りは嬉しさよりもやっぱり寂しさのほうが強い。 たくましい腕だが、春に比べてずいぶん痩せた。 機械で刈り取った後の田圃を歩いて、取り落とした穂を拾う。「百姓の血の中には、一粒でも多くとりたいってのがある」。 「神社の七五三縄はね、稲の形から作られたんだ」。このひと粒がまた新しい稲を作り出してゆくのだろう。